ヨハン・シュトラウス面白史実クイズ
あなたも ヨハン・シュトラウス ミュージックアドバイザー でウィーン旅行にピッタリのサウンドトラックを見つけましょう。
答え
もちろん、詳しい知識のために。カンニングしちゃダメですよ?
質問1 答え:ヨハン・シュトラウスの有名な作品の名前は?
ウィーン珈琲
ウィーンワイン
ウィーン気質
他の二つの飲み物は魅力的ですが、ウィーン気質(op.354)はヨハン・シュトラウスの最も有名なワルツのうちの1曲です。この曲はウィーン人ののんびりとした人生観を表しています。
質問2 答え:ヨハン・シュトラウスの父の名前は?
ヨハン
ヨーゼフ
エドゥアルド
ヨハン・シュトラウスが父から受け継いだのは名前だけではなく、最終的には「ワルツ王」という称号もでした。父ヨハンは自身も 成功した作曲家 でした、しかし-当然ながら、家族内のライバル争いを恐れてもいたのです。他の二人の息子たち、ヨーゼフとエドゥアルドも音楽の才能があり、後にヨハン・シュトラウス2世と共に家業シュトラウス・ファミリーで積極的な活躍をみせました。父の最も有名な作品はラデツキー行進曲、今も ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート の伝統的なラストの一曲です。
質問3 答え:ヨハン・シュトラウスが大嫌いだったイベントは?
オペラ上演
お葬式
結婚式
シュトラウスはきっと数えきれないオペラ上演を訪れたことでしょう。そして自分でも3回結婚式を挙げました。大嫌いだったのはお葬式でした。無理矢理参列させられたお葬式がたった1回ありました- ウィーン中央墓地 における1899年10月8日の自身のお葬式です。その地でシュトラウスはベートーヴェンやファルコのような世界的に有名な作曲家の隣で眠っています。
質問4 答え:ヨハン・シュトラウスは、彼を崇拝する女性ファンから度々巻き毛をひと房ねだられることがありました-シュトラウスは飼っていたプードルの毛を切り取って渡していました。
本当の話
作り話でしょ
これは本当の話なんです!当時の女性ファンにとって、自分のアイドルに巻き毛や切り取った髪をくれるようにお願いするのはよくあることでした。しかしシュトラウスはあまりのリクエストの多さにプードルのトリックを使わなくてはいけませんでした。そうしないとシュトラウス自身の髪の毛が一本も残らなかったことでしょう。
質問5 答え:「鼻髭」に加えてヨハン・シュトラウスが生やしていた髭のスタイルは?
あご髭
ほお髭
ヨハン・シュトラウスはとても外見に気を遣っていました-もちろん髭のスタイルにも。上唇の鼻髭に加えて頻繁にしていたのはほお髭- 顎はすっきりと剃っていました。かつての住居 に展示されている胸像のように。
質問6 答え:ドナウワルツが演奏された変わった場所とは?
プール
駅の構内
プラーター遊園地
世界的に有名なワルツ 《美しく青きドナウ》 op.314は、その名にピッタリなプール施設で初演されました。その初演は1867年、当時はまだ男声合唱団つきのバージョンで、ウィーンのディアナザールで行われました。ちなみに泳ぐ人のいない冬のことでした:プールは覆われ、プールのあるホールはコンサートと舞踏会の会場に作り変えられました。2020年までディアナザールは営業していました-少なくともプールとして。
質問7 答え:ヨハン・シュトラウスがつけられた称号で正しいものは?
ポルカ王子
ワルツ王
カドリーユ皇帝
きっと全てが正しいでしょう-ですが、ヨハン・シュトラウスは同じ名前の父から ワルツ王 の称号を受け継いでいました。シュトラウスは 国際的なスーパースター になり、自身が率いるオーケストラと共にヨーロッパ中をツアーで回り、北アメリカ大陸にまで出向きました。彼の世界的な名声はこんにちも変わりません。
質問8 答えヨハン・シュトラウスの最も有名なオペラが捧げられた動物は?
鹿
狐
蝙蝠
三つのうち全て、ウィーンで出会うことがある動物です。世界で最も有名なオペレッタは こうもり になりました。初演はアン・デア・ウィーン劇場で1874年に行われました。題名の「こうもり」は脇役の一人、ファルケ博士が仮面舞踏会で身に着けた蝙蝠の衣装からきています。ファルケ博士はこの舞踏会で笑いものにされた復讐に、主人公アイゼンシュタインに姦計を弄して仕返しをするのです。ドタバタの中、いくつもの不適切な関係が露呈します。
質問9 答え:ヨハン・シュトラウスは自分では絶対に踊らなかったって本当?
本当
嘘
ワルツ王は本当に自分は踊りませんでした。当然ですよね、自分はほとんど指揮台に立っていたのですから。
質問10 答え:シュトラウスの作品の中で宇宙の賛歌と呼ばれているのは?
トリッチ・トラッチ・ポルカ
ドナウワルツ
エジプト行進曲
スタンリー・キューブリック監督は1968年の映画《2001年宇宙の旅》で映画史に名を刻みました。その中で宇宙船がドナウワルツの調べと共に宇宙を舞いました。このシーンは後に何度も引用されました-とくに有名なのは『ザ・シンプソンズ》-ドナウワルツはウィーンとだけでなく、宇宙空間とも切っても切れない関係となったのです。